批判的なブログの持つ言葉の魔力に取り憑かれる日

階段

言葉には魔力があります。それは脳髄に働きかける圧倒的な闇と欲のフレーズ集。なに言ってんの?って思いますよね。でもそれも言葉の魔力です。

誰かをバカにするような記事の持つ悪魔的魅力。読んで疲れる、嫌な気持ちになるんだろうなと思っても読んでしまう。でも批判的な記事を書くブログは巡り巡って自分に返ってくるものです。ほら、コメント欄がびっしり埋め尽くされてるよ。

”だから書かないほうが良い。”

という正論は置いといて、あなたはきっと誰かがイジられている記事を目にしたことがあるはずです。でもあなたは目をそらさず、最後まで読んだ。嫌な思いをする可能性があったにもかかわらず。

いったいなぜなのか?

今回は批判的なブログと言葉の魔力について考えてみました。

読みたくないけど読んじゃう衝動

僕は記事を読むと文章から書いた人の心理とか環境とかを想像してしまう。どんな心境でこんな記事を書いたんだろう?って。

ブログから伝わる感情ってのは読者次第の部分があると思うけど、誰かをdisる記事を読むと行き場の無いはけ口のようでとにかく嫌な気持ちになる。だから読みたくない。

でも

読んでしまう。悔しいけど興味があるのだ。

批判なのに読んでしまう言葉の魔力

たとえば、
「つまらない記事ばかり書くお前に教えてやる」とか「都会に住んじゃいけない理由知ってます?」とか「浮気する人間はこの世からいなくなればいい」とかそんな記事タイトルを見るとひどく嫌な気持ちになり心揺さぶられる。

批判的な記事なんて書くべきじゃないんだ、他人を否定できるほどお前は立派な人間なのか?完璧な人間なんていない。いたとしてもそいつは人間ではない、いるはずないんだよ!なんて思ってしまうのだけど…結局

読んでしまう。

当然だが炎上マーケティングなんて真似するべきじゃない。お互い嫌な気持ちになるだけだ、と思う変な正義感にも似た、もしくは偽善者的思想が僕の中にはあるのだ。でも嫌なのに気になってしまう。読んでしまう…。…そうか、それが言葉の魔力か。批判すれば読まれるのかなるほどそうか…。

いや、でも…。そうじゃない。僕は間違っちゃいない。そうだ正義だ。

そうだよ!子供の頃学校で習ったじゃないか。

「人の悪口を言っちゃいけません」

「みんなと仲良くしましょうね」

そう習ってきたんだ。

…たしかにそのとおりだ。

仲良きことは良いことだ。それはリアルなつながりだけじゃないはずだ。ネット上だっておなじ人間同士。だからそんな相手を威嚇するような記事なんて書くもんじゃない。心苦しくなるだけじゃんか。

…なんて思いながら記事をクリックする僕がいる。

くやしい。読んだらきっと嫌な気持ちになるってわかってるのに。

読んでしまう。

そうだ。それが感情を揺さぶられるってことなんだ。

心をつかむ悪魔的心理の例

批判的な記事を書く人の心理を考えてみる。

〜とあるブロガーの心理的欲求〜

何度も言わせるなよ。相手をバカにしても煽ってでもなんでも読ませたもん勝ち。読ませる記事タイトルにしときゃこっちのもんだ。読んだ相手の気持ち?そんなん知ったこっちゃない。要は読ませたもん勝ち。それだけさ。

嫌な気持ちになった?だから?そりゃ読んだお前自身の問題だろ?別に読んでくれなんて頼んじゃいねーし。勝手に読んで勝手に落ち込んでるだけだろ?

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所詮お前は他人の記事ひとつで感情が左右されるような弱い人間なんだ。心が弱い人間なんだ。だってそうだろ?たかが見たことも会ったことも無い人間が書いた記事にムカつくなんてくだらない話じゃねえか。

別にお前の悪口言ってるわけじゃないのになんで感情的になる必要がある?お前の勝手な被害妄想だろそれ。

そんなにムカつくなら同じような記事書いてみろ。批判的な記事書いてみろよ。どうせ書けないんだろ?だらしねえ意気地なしだ。一度書いてみろよ、ブクマされてRTされてPV数増えるぞ。読まれたいんだろ?だったら俺みたいに書いてみなよ。アクセス数増えまくるぞ。まあいろんなコメントもたくさんくるけどなハハ。ハハハ。そんなん気にしねえけどよ。まあ所詮お前はその程度の人間。普通の人間なんだよ。まあなんというか、弱いんですな。ハハ

心と言葉の深い闇

読んで見る

批判的な記事は読んでしまう。くやしいけど人は他人の悪口が好きなんだ。自分には関係ない見知らぬ人間のおふざけ話が大好きなんだ。僕もきっと心の奥底では誰かが誰かをdisるのを楽しんでいるんだ。いや、そんなことはない!って思えば思うほど…。

信じたくないが、読んでしまうということはそういう面があるってことだ。当然ながら自分が赤の他人で第三者であり、他人の悪口だから直接的な影響が無いのが前提。

だからもし自分のこと言われてたらそりゃもう憤慨。くやしくてくやしくてもはや3時のおやつもフラペチーノものどを通らないだろう。はじめは反発しようと思うけど言い返す勇気もなく、悩み続け最後はあきらめてしまうだろう。

人は弱い。

批判する記事なんか書いても嫌われるだけ

世の中読ませたもん勝ちです。批判記事でもなんでも書けばいいんです。嫌われてもなんでも結果さえ出しゃそれが世間に認められ人気者になれるんですよ。みんなそこが分かっていない。いい人ぶる。

結局ね、収入になればいいんですよ、だからね、それでいいんですよ。こっちの暮らしは良いですよ

なんてわけのわからない自己中心的な記事を書いても僕の場合、後で読んで心が折れてしまいます。弱いんですな。まあなんというか、嫌われたくないってのが本音です。

ただ…

こんな記事をスラスラ書いてしまう自分が嫌でもあります。まあなんともわがままな話。

批判するって切り口はある意味意外性を突くキャッチコピーの常套手段ではあります。でも悪用は厳禁。後で自分に返ってくる。それにただ、ネット上でもなんでも叩かれれば痛い。にんげんだもの。

やっぱり無理はしない方がいい。

まとめ

言葉には魔力があり、それは批判的な言葉ほど強いメッセージ性が生まれる。それに批判的な言葉で記事を書くのは実はそんなに難しくないってわかりました。書けるけど書かない、これは書き手の意識の問題であり一般的な理性、常識という名の世間体でもあります。

スーパーブロガーになれるならあなたはどんな記事でも書きますか?書けても書けないんじゃないでしょうか。常識という名のもとにアナタの正義が抑止するのではないでしょうか。

おわび
結局批判的な記事を否定しておきながら僕自身批判的な記事を書いてしまったことを深くおわび申し上げます。